「瞬間的な反応」から「謙虚に受け止める」

 

 

ずっと求めていたものがありました。

 

いよいよそこに到達できるかと思った瞬間、得られなったら、あなたならどうしますか?

 

 

1)悲しむ

 

2)腹が立つ

 

3)抗議する

 

 

 

4)その状況を謙虚に受け止めて、これも神の計画の中にあると自らを低くする

 

 

 

1〜3なら、すぐできます。

 

でも、4の選択肢はかなり難しいはずです。

 

 

 

具体的に話すと誰のことかわかってしまうので抽象的表現にしましたが、この4を選択した方が実在します。

 

泣きましたし、悲しみました。

 

 

でも、

 

「さらに待つこの状況を通して、神のさらなる素晴らしい計画が現されますように。」

 

 

そのように祈りして、主の力強い御手の下にへりくだったのです。

 

 

 

思っていたより大幅に早く、より良き神の道が具体的に示されました!

 

神様すごいなって思いましたし、聖書の約束は本当だなあと実感しました。

 

 

怒って文句ばかり言ってたら、この道は開かれなかったでしょう。

 

 

 

 

あなたも、思い通りにならないことがあると思います。

 

その時、瞬間的な感情に身を任せるのでなく、謙虚にその状況を受け止めてみてください。

 

 

 

その人は練られた人となり、やがてどこでも通用する引っ張りだこな人となります。

 

 

 

 

 

 

 

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「やりたいことをやる」から「目の前にいる人のためにできることをやる」

 

ご無沙汰しています。

 

元気でやっております。

 

いつもブログをチェックしてくださり、ありがとうございます。

 

 

 

先日(2018.3.11)の日曜にNew Hope Yokohamaの礼拝に初めて出席いたしました。

 

そこの牧師は、神学校時代の友人である真島亨です。

 

 

今日は、真島亨師についてご紹介させてください。

 

 

 

これは本人が話していたことです。

 

彼が神学校を卒業して、ある教会のインターンとして、いよいよ牧師になれるということで、ワクワクしていました。

 

メッセージをしたい、聖書を教えたい、若者たちと遊んだり、いっしょにミニストリーをしたいと、意気込んでいました。

 

 

 

でも、主任牧師に言われたことは、「トイレ掃除をしなさい」でした。

 

教会でやることは、トイレ掃除ばかり。ほかのミニストリーには関わることができずに、それが1年以上も続く。

「オレはトイレ掃除やるために牧師になったんじゃねーんだぞ!」と思っていたそうです。
おそらく新しく来た人には、トイレ清掃業者のお兄さんと思われていたかもしれません。(笑)
自分のやりたいことをできないジレンマ。
しかし、その状況に従い続ける。長い間、忍耐し続ける。そのことで培った性質があります。
愛です。
彼は、本当に愛の人です。
そして、真島亨に出会う人は、彼の愛に触れられて、その人も愛の人になっていきます。
その愛とは、キリストの愛です。

 

 

真島亨師は言います。

 

「僕にはあの長〜いトイレ掃除の期間が必要だった。人に仕えることを学んだ。」と。

 

 

 

私たちは、自分のやりたいこと、自分が欲しいものばかりに着目しすぎていませんか?

 

 

神が私たちに与えられた能力は、自分を喜ばすためでも、自己実現させるためのものではありません。

 

人のため、社会のために与えられたのです。

 

 

「やりたいことをやる」から「目の前にいる人のためにできることをやる」に変身したら、自分の人生の意味・役割が明確になります。

ぜひ、日曜に横浜近辺にいる方は、NHYに行ってみてください。

 

 

 

 

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