「ドタキャン」から「ドタイク」


ドタキャンの反対語を作ろうと思ったのですが、「ドタイク」のネーミングセンス悪いですね。(笑)

土壇場、アクション(=行動)で「ドタアク」にしようかと思ったのですが、わかりづらいと思って苦肉の策で「ドタ行く」。



学生時代、クロスロードチャーチに来ていたのんくん。去年、結婚をしたのんくん。

ある時、教会のみんなで映画館に行くっていう時に、大人数だったので、

「のんくん車出せる?」

って聞いたら、

「用事があるから無理です」

という返答。でも、かけ直してきて、

「行き帰りの送迎だけならできますよ」

と言ってくれて、来てくれたのです。


「のんくん、マジでありがとね〜助かったわ〜」

って言ったら、彼はこう言った。



「別に大したことしてませんよ」



これ、かっこよくないですか? このさりげない行動


さりげない配慮。自分がしてやったぞ!とかじゃなくて、今その場でできることを当たり前のように、さらっとする実行力


のんくんは、子どもからご婦人まで人気がありました。


 
かっこいいこと言うだけの人います。

でも、その実が伴ってないなら、かっこ悪いというか、人の目を気にするだけの「いい格好しい」で、信頼感ゼロです。

 
行くって言っておいて、いきなり来るのをやめるのを「ドタキャン」って言いますよね。

非常に迷惑です。



では、行くの無理って言っておいて、急に来たらどうですか?

これも、実際困りますよね。(笑)人数計算していたのに、ややこしいことになります。



しかし、相手のためを思って行ったなら、それは心のこもった愛です。


のんくんのような心のこもった「ドタイク」を目指していきたいものです。



明日、日曜のメッセージは、

「行くと言って来なかった兄と行かないと言ったけど実際に来た弟」の聖書箇所から、

「言葉より行動」というタイトルでお話しします。





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いつまでも子ども扱いする親を上手にかわす方法


親って、子どもが何歳になっても、いつまでも子ども扱いしますよね。

私の親もいつまで経っても、指示的です。


たとえば、私が一時期、教会の週報(日曜にお配りするお知らせ)を作成していなかった時、

「週報は教会の名刺みたいなものなんだから、ちゃんと作りなさい」

と母は言います。

こういう干渉がめんどくさいなあ〜って思ってしまいます。(笑)



親が「宿題やったの?」「ちゃんと勉強やったの?」と言うときほど、うとましく思うことはありません。

私の学生時代のケースは、親子関係が完全に封鎖されていたので、何を言われても完全無視していました。



親子関係が上手に保たれるために、子どもはどうすればいいのでしょうか。



親の気持ちを否定せずに、上手にはぐらかす方法をメンタリストDaiGoがこう言っています。(「KSK」のDAIGOじゃありません)

「自分の方がうるさく言う」

だそうです。


たとえば、親が「ちゃんと勉強してるの?」と言いそうなその前に

「今日さ、数学の授業でこういう問題があってさ。三平方の定理なんだけど、いつも間違えちゃうんだ。三平方の定理にタンジェントの数値を求める問題があったんだけど、それの引っかけ問題が東大の過去の問題集にあってさ・・・」

と細かいところを先に報告してしまうのです。

ここで言う勉強の内容は、聞いた親がちょっとうんざりするくら細かくて具体的なほうが効果的です。


親からしたら、東大の過去問大なんか知らないし、どうでもよいことです。

「一応は頑張っているのね」と納得します。

その結果、なにも言わなくなります。


これなら、嫌な思いをせずに過ごすことができます。



私の場合に当てはめるなら、

「教会でリーダーたちがみんなに報告してくれたり、メールでお知らせをすぐに伝えてくれるから、助かるんだよね。LINEって知ってる?ちゃんと相手が読んだかわかる機能で、もし読んでいなかったら、ちゃんと漏れなく伝えれるんだ。あと、今日洗礼希望者の学びがあってね・・・」

と何か言いそうな母に言えば、

「ああ、ちゃんとやってるのね」

と安心を与えて、いらぬ衝突を回避することができます。


そして、コミュニケーションも増えます。


これは、親だけでなく上司にも当てはまります。

先に細かく報告すれば、あれこれ言わなくなります。







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嫌な仕事を続ける vs 嫌な仕事は辞める



よく「どっちにすればいいのでしょうか?」と相談を受けます。

私は、「こっち」という答えは出しません。

質問だけします。

その人が本当に求めていることがわかるような質問をするようにしています。



よくある質問が、今やっている仕事が嫌なんだけど、辞めるべきか続けるべきかというのが多いです。



いろんな本を読むと、9割くらいの著者は、

「人生は短いんだから、自分のやりたいことをやるべきだ。すぐ辞めろ!」

みたいなことを書いています。

いや〜〜無責任だなあ〜〜〜と思ってしまいます。



<理想と現実の狭間>

「理想は違う仕事をしたいんだけど、現実はそれでは食べていけないから、現状を我慢をする」

この狭間の中で、ストレスを感じますよね。簡単に辞めれたら苦労しません。いろんな責任を負う立場だと思います。




一つ考えるべきポイントとして、参考にしてもらいたいのが、「収入」以外のプラスな要素があるかどうか。

つまり、

【その楽しくない仕事を通して、自分は「成長」できるかどうか】


というポイントを考えてみるようにお勧めします。


ほとんどの人が本来やりたくない仕事をやらざるをえない中で、安易に「そんなの辞めてしまえ」なんて言えません。



納得のいかない「今」と
「未来」のヴィジョンは、繋がっているかもしれません。


未来と人生全体を考える中で、自分を成長させてくれるなら、嫌なことでも力になっていきます。

何かのスキルかもしれませんし、忍耐力であったり、人間関係を学ぶ時かもしれません。



ぜひ、物事をどっちかと判断しなければならない時、そこに「成長」があるかないかを視野に入れて考えてみてください。











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健康のカギは食事と運動と睡眠


ギックリなったり、あちこちつったりする私に、フィジカル・アドバイザーがこんなメールをくれました。
↓↓↓
ぎっくり腰等の原因はほとんどがストレスで、自分を追い込み過ぎるとよくなります。

環境を変える事が必要ですが、リラックスしろと言われても余裕がない状態の事が多いので、とりあえず普段より1時間早く寝ましょう😊

筋痙攣は、その部分の栄養不足と言われます。特にカリウムが影響するので、毎日カリウム豊富な[バナナ]を食べて下さい。

大した負荷もないのに急にあちこちひきつる時、糖尿病などが隠れている事もあります。

痛んだりひきつる度に、自分の心もこうなってるかもと考えて、まず優しく心からほぐしてみて下さい😊


本当にありがたいです。

てなわけで、ハローズでバナナ買ってきて、食べました。




また、フィジカル・アドバイザーは、湯船につかって足首を回したり、ストレッチを勧めています。

最近、睡眠の質をあげるために、まくら専門店に行き、Myまくらを買いました。


健康管理のカギは、食事と運動と睡眠ですよね。



持てる力を発揮するために、やはり自分の健康を管理していかなくてはと思います。









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子育てにおける厳しさと保護のバランス



Q.1 
あなたの性格は厳しいですか?優しいほうですか?


Q.2
どの組み合わせが、子育てにはいいと思いますか?

1厳しい父 2厳しい父 3優しい父 4優しい父
 厳しい母  優しい母  厳しい母  優しい母

(※子どもと接する時間は母が多いとする)



正解は、わかりませんが、私は2番【厳しい父&優しい母】だと思っています。



・厳しい=しつけが強すぎると、子どもは「自分は何をやってもダメだ」と思い、自尊心が育ちません。

・しかし、厳しさがなければ、何が大事なことか何をしてはいけないことなのか学ぶことができず、また、協調性が失われます。

・優しさ=保護が多ければ、「自分はOK感」。つまり自分には価値があると、自尊心・自信が養われます。


優しさばかりでは、自由奔放な子どもになってしまい、甘えてばかりで、自立が遅れるのではないかと心配するかもしれません。

違います!

保護が多い=「自分には価値がある」とわかればわかるほど、「自分を満たす」という心のベクトルが早く、「誰かのために」に移り変わり、自立が早まるのです。



子どもの時に、ストレスが強すぎると、幸福感を持つことができません。

厳しさも時には必要です。でも、その何倍も保護(優しさ)が必要です。



私は子どもに叱る回数がものすごく少なかったです。滅多に叱りませんでした。

でも、叱る時は子どもたちにとって、世紀末が訪れたかのようにビビります。

インパクトが強すぎたかなと反省していますが、でも、ほとんどの場面では保護を多めにし、意志を尊重してきました。



子育てにおける厳しさと保護のバランスは、




 【厳しさ<<<保護】



こう確信しています。



そして、神様も人間に対して同じだと思います。

ときに、軌道修正のための厳しいムチがありますが、それでも受け入れてくださる保護(=恵み)が圧倒しているのが聖書の神です。


そういった意味で、子どもと接する時間が短い父が時に厳しさを出し、接する時間が長い母が全般的に優しいほうが、健全に育ちます。





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天才プレイヤーより地味に練習する〜Victory2016始動〜


(去年のVictoryの模様)


〜何にもしてないのに満身創痍〜


2週間前に、背中がギックリになりました。

その後、背中をかばってか、首と腰にずっと張りがあり、左胸が攣り、昨日は右腕が攣りました。

特に激しい運動などしてません。

もう笑うしかありません。笑うと腕と首が痛いです。



さて今日から、Victory2016(年に1回の西日本最大の賛美フェス)の練習が始動です。

私は裏方ですが、初っ端に鼓舞するために、赴いてしゃべりました。


バンドが一体感/一致を持つためにはどうするべきかという話をしました。(エペソ4:11-13)


私がVictory bandの中で歴代一番練習をしていたのは、maco(エレキギタリスト)です。

リフを何パターンも考えてきたり、課題を練習してきます。

そして、macoの音楽センスは、歴代メンバーの中でもずば抜けていました。

おごり高ぶることなく、地味に練習してくるので、やりやすかったし、本当にバンドが一致できました。


もし天才的に音楽ができて、テクがあっても、練習をせずに、その場で自由に弾かれたら、一体感は保てません。逆に乱してしまいます。


技術的に優劣があるのは当然。でも、しっかり課題をクリアし、練習をして臨んでくるなら、一致した演奏になります。


練習時間2時間では上手くなりません。そこは自分がこの一週間、何を練習するか課題を知るときです。



毎週の練習が3ヶ月続きます。

メンバーのためにお祈りしていきましょう。





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日本はギブアンドテイク教の国



日本は、どっぷりGive and Takeの国です。

「もちつもたれつ」という支え合う意味ではいいのですが、

「何かもらったら、お返しをしなくちゃいけない」という考えが働き、ただなんにもなく「もらう」ということができにくいのです。


子どものころは「あげる」と言われたら、喜んでもらってましたが、大人になるにつれて、だんだんと裏を勘ぐったり、その後のめんどくささを計算して、ただでもらえなくなってきます。



イエス・キリストが与えてくれる「救い」はプレゼントです。


ありがとうございます。受け取ります。というのが「信仰」です。



でも、多くの人は難しいですよね。

「どんな魂胆が隠されてるの?」「信じたら何かをやらなくちゃいけないのか?」ということに気を取られてしまうのです。

それを受け取ることのできる心の状態は、「あわれみを乞う」
(昨日のブログ参照)です。


プライドが邪魔をして、素直に受け取りにくいのもよくわかります。

この世界が、この社会が、ギブアンドテイクですから。



もう一度言います。

イエス・キリストはGive and Giveです。与え尽くされました。

「救い」を得るために、善行も宗教活動も奉仕活動もお金もいりません。


(2016.1.24 日曜メッセージ Upside Down<逆転>シリーズ・2『自分を低くする者が高くされる』より抜粋)




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「ハードルを下げる」理由と「あわれみ」の必要性




こんな人がいたら、皆さんはどう思いますか?

1)163cm 45kgの女子の発言。

「あたし〜ダイエット中なのぉぉ〜 もっと痩せないとぉぉ〜〜」


きっとあなたはこう思うでしょう。

「うっさい!おまえはもっと食え!」(笑)



2)自分のこと絶対可愛いって思っている女子の発言。

「あたしなんかぁぁ〜 全然、可愛くないですぅぅぅ〜〜〜」



きっとあなたはこう思うでしょう。

「本当に可愛くないツラにしたろか?」(笑)



でも、これに似たようなことを私たちはしょっちゅうやってます。

「バレンタインチョコいっぱいもらえるんでしょ〜?」

って言われたら、ほぼほぼこう答えます。

「いや〜 義理ばっかですよ〜。全然モテないし、本命なんかそんなにもらったことないですよ〜」



「当たり前じゃん!なんだったら、いくつか分けようか?」言ってみたいです。(笑)



こういうのを「ハードルを下げる」と言います。




ハードルを下げる理由は、保険です。「大したことないじゃん」と思われないための前もって掛ける保険。

つまり、「ハードルを下げる」正体は、やっぱり「自分がよく見られたい」に尽きると思うのです。


それは、自分を低くすることはありません。低くなろうと見せかけて、高くなりたいだけです。



本当に、自分を低くする時には「あわれみ」を使います。


本気で「あわれみ」が必要で求める時、本当に低くなっています。

でも、今の物質が溢れかえる日本において、あわれみを請うケースは非常に稀です。



明日の日曜メッセージでは、「えらい宗教家の先生による立派な祈り」と「罪にまみれてどうしようもない人の一言の祈り」(ルカ18章)をアテレコスキット付きで、学んでまいりますが、


本当にあわれみを求める人は、あまり言葉が出てこないし、本来、祈る資格さえない。天を仰ぎ見ることさえおこがましい。

と思っています。



神様の前で「私は何もありません。あなたのあわれみなしには生きていけません」と低くする時、高くされるのです。



その時、イエス・キリストの十字架の意味がわかります。




【Upside down<逆転>シリーズ・2「自分を低くする者が高くされる」】






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「ありがとう」が言えないとき




あなたは「ありがとう」を言えますか?

おそらく、これを読んでる方は心を込めて言える人ばかりだと思います。でも、たまに「ありがとう」が言いにくい時もあるでしょう。



こんな話を聞いたことがあります。

ある結婚して45年になる夫が、妻にたくさんのことをしてもらいながら、1度も「ありがとう」を言ったことがありませんでした。

妻が夫に仕えるのは当たり前だと思っていたそうです。


ずっと家族の中はギクシャクし、定年退職を目前にしていろんな不安にかられ、このままではいけないと思っていました。



そんな時ある牧師に、

「家に帰ったら、夫は妻に、妻は夫に『ありがとう』を言いましょう。そうすれば、変われます。」

と聞きます。


切羽詰まった夫はなんとかして言おうと思うのですが、なかなか言えません。

仕事一途で堅物な性格だし、「ありがとう」を言ったり、頭を下げるのは負けだと思っていたそうです。


けれども、頭の中でシュミレーションを重ね、何度も声に出して練習をして、

とうとう頭を下げて、「今ままでありがとう」が言えたとき、新しい世界が開けました。




まず心の中に変化が起きました。

・「自分が家庭を支えてきたつもりだったけど、本当に妻や家族に支えられてきたんだ」とわかった。

・「妻が自分を見放さず、我慢してくれていたのだ」とわかった。

・自分が自分がという視点が変わり、周りの人の親切や気遣いが見えるようになった。


・肩の荷がおりた。

また実質的な変化ももたらされました。

・妻とのギクシャクした関係が、だんだん暖かいものになっていった。

・家にいる時間が増えた。




妻は突然の「ありがとう」に対して、最初は不可解で怪しんでる顔をしながら、夫を見ていましたが、夫の目に涙があふれてるのを見たとき、本心だと悟り、自分の目も涙があふれてきました。



今までの自分を壊し、新しい自分に変身するためには勇気がいります。

「相手がどう思うだろう」「変に思われないだろうか」「魂胆があると思われるんじゃないか」

と気にするかもしれませんが、関係ありません。

相手が不思議がっても、怪しんでもいいんです。


自分自身が変われます。そして、いつかは相手に気持ちが届きます。


自我に死に、自分に対して折れることで、「有り難い」ことが見えてきます。


「ありがとう」は「有り難い」⇒「当たり前ではない」⇒「すごいこと」



私たちの周りには、実は、当たり前なことは少ないのです。有り難いことの連続です。

これから周りの人に対して、「ありがとう」の連続をしていきましょう。







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大人と子どもの境界線



先日、成人式がありましたね。クロスロードでも3人の新成人の祝福式を行いました。

最近は暴れる新成人のニュースが減っている気がしますが、やはり現場ではやりたい放題の新成人が存在するそうです。



大人と子どもの境界線ってなんでしょうか?

一般的に言えば、日本の法律上、20歳という年齢から成人=大人です。



私が子どものころの「大人」像は、背が高い、お金が自由に使える、ご飯を食べるのが早い、仕事をしなくちゃいけない...でした。

その反対に、背が低く、お小遣いが限られていて、ご飯を食べるのがゆっくりで、宿題が課せられるのが「子ども」でした。




今では私はこう簡単に区別しています。

・やるべきことをするのが大人

・やりたいことをするのが子ども




でも、最近は、するべきことをしないで、やりたいことばかりする大人が多い気がします。

そんな大人が親になると、子どもにとっていい迷惑になりますよね。


例えば、

親が満足するだけのキラキラネーム。

深夜にファミレスやお店に子どもを連れ回す。

煙いパチンコ屋に連れていく。



子ども自身のことを考えずに、自分のやりたいようにやる大人は、外は大人、内は子どもの「大人子ども」です。
(注:「アダルトチルドレン」は別の意味)


もちろん人間なので、やりたいことはあるでしょう。でも、したいことを後回しにしたり、我慢できなければ、大人ではありません。

子どもを授かった親の責任こそが優先されるべきです。



つまり、

大人とは「本当に大事なことを優先して行える」

ことだと思います。







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