神の声を聞く方法

  • 2016.10.23 Sunday
  • 01:24

 

 

神様の声を聞いたことがありますか?

 

困った時、苦しい時、神様の声が聞こえたら、どんなに安心だろうかと誰もが思ったことがあるはずです。

 

 

 

 

ある一人の学生が宣教師のところに来て、こう尋ねました。

 

 

「先生、僕は神様が語りかけてくれたっていう経験がないのです。

 

今、大学を卒業したあとの進路のことで迷っていて、神様に相談したいのですが、

 

どうすれば、神様の答えが聞こえるのでしょうか。

 

どうすれば、神様のみこころがわかるのでしょうか。」

 

 

その時、宣教師は聞きました。

 

「あなたは、聖書を毎日どれくらい読んでますか?」

 

「あまり読んでません。」

 

「聖書を読まない人には、神様の声は聞こえないのですよ。」

 

 

そういうふうにはっきり言われたそうです。

 

 

 

その時、その学生ははっと気づきました。

 

今までは神様に一方的に、導いてほしい、答えをほしいというふうに、求めるばっかりで、自分のほうから神様のみことばに耳を傾けて、そして聖書の中に入っていって、静聴する、瞑想するという自分の役割を忘れていたのです。

 

 

ただ受け身で、いつ話し掛けてくれるか。そうじゃない。

 

彼はその時から悔い改めて聖書を熱心に読み始めました。

 

 

神の声は、聖書を通して聞こえます。

 

 

 

 

 

 

 

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テスト0点を取ったらダメ人間?

  • 2016.10.15 Saturday
  • 18:31

 

 

テストの点数、30点以下を取ったことがありますか?

 

 

もし取っていたとしたら、自分のことをどう思いました?

 

・「なんてオレはダメ人間なんだ!」と思った人。

 

・「まあ今回、実力出してないし」と思った人。

 

・「この教科は苦手だからしょうがない」と思った人。

 

・0点を取ったとしても、な〜んも気にしない人。

 

・「逆に誰も0点なんか取ってねーだろー?超、オレって特別♪」みたいな人もいるかもしれない。

 

 

 

赤点を取ったとしても、いろんな感じ方があります。

 

それは、ほとんどの場合、親の価値観に影響されています。

 

 

「あんたはね、お受験しなきゃいけないから、テストはオール満点、最低でも90点よ」という親の元で育った子どもは、もし30点取ったら、絶望でしょうね。

 

「僕はこの家の人間としてふさわしくない」ときっと思うでしょう。

 

 

もし親が「勉強なんかできても、できなくてもいい。ケンカだけ負けるなよ」という家で育った子供は、0点取ったら、誇りにさえ思うかもしれない。

 

 

そこまでいかないにしても、親が子供に「お前はサッカーのレギュラーにさえなれば、テストは別にいい」と普段から言っていたら、0点取ろうが気にしません。

 

 

そういった親の価値観の中で育ってきた子供が、もしサッカーのレギュラーを取れなかったり、友達と喧嘩して負けて泣いて家に戻ってきた場合、「オレはもうダメ人間だ。価値がない」と思ってしまいます。

 

 

 

 

私たちが価値があるか、価値がないか。素晴らしい人間か、ダメ人間か、それは、家庭の教育や社会の評価によって、ほぼほぼ決められてしまう。

 

 

自分の思っている物差しや基準で、それより下回ってしまったら、価値がないダメ人間。それを上回ったら、価値がある素敵な人間。

 

でも、それが本当に正しいのでしょうか?

 

 

 

明日の礼拝メッセージでは、昔も今もこれからも、絶対に変わることのない基準、神のことばである聖書で、判断するなら、とてつもなく素晴らしい人間であることをお伝えしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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日本の時代別(経済状況)教会のミニストリー方法(4)「バブル崩壊後〜現在」

  • 2016.10.14 Friday
  • 18:01

 

時代別の日本のミニストリー歴を主観ではありますが、見てきました。

 

シリーズ4回で終わりますが、なぜ、これを書こうと思ったのか、そのきっかけを思い出しました。

 

KGK(キリスト者学生会)から、「教会とKGK」という原稿依頼を受けて、キャンパスクルセードとKGKの二つの大きな大学生ミニストリーについて考えたのがきっかけでした。

 

昨日、脱稿したので、思い出したのです。(笑)

 

その内容は、またKGKの発行物で、お読みください。

 

 

「KGKのミニストリー方法は、現代の日本に適している」

 

という思いから、このミニストリー歴ブログが始まりました。

 

 

 

 

 

1991年にバブルがはじけて、終身雇用の神話が崩壊し、実際、リストラで職を失う人が、私の身近にもたくさんいました。

 

証券会社、銀行、不動産業、大手企業でさえ、株価や地価の暴落で失墜しました。

 

またゴルフの会員権が数百万円であったのに、二桁安くなったり、会員権制度撤廃になったりもしました。

 

1998年ごろには、ITバブルが発生しましたが、アメリカ同時多発テロで、バブルがはじけました。

 

2008年には、リーマンショックが起こり、世界規模で経済にダメージを受けました。私の知り合いでも、会社が吸収合併され、転勤になる人が何人もいました。

 

 

1991年以降、経済が破綻したり、好転することもありますが、安定することは無くなりました。銀行も金利が0%に限りなく近くなり、タンス預金が増えている時代。

 

消えた年金問題もあり、いつリストラされるかという不安もあり、社会に頼らず、自分の財産は自分で守らなくてはというような時代になってきました。

 

 

 

横のつながりを大事にするより、自分で自分の危機管理を考える個の時代になってきたように思えます。

 

そういった意味で、1対大勢というクルセード方式のミニストリーではなく、一個人を大事に取り扱うミニストリー方式に大きくシフトチェンジしています。

 

 

ですから、大集会を企画・実行しても、

 

「人集めが大変。」「結局、あまり動員できなかった。」「大会後、教会に新しい人は来なかった。」

 

という印象です。

 

 

というわけで現代は、クリスチャン一人が、自分の家族、友人、大切な個人に対して、深いコミュニケーションを持ち、キリストの愛をもって仕えることによって、その人柄を通して、キリストの香りが伝わっていくことが、現代のミニストリー方法として、適しているのではないかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ナアマンより「すべてを理解すること」から「どんな場面でも従う」

  • 2016.10.12 Wednesday
  • 14:02


 

日曜のメッセージで、聖書の列王記に出てくるナアマン将軍から学びました。

 

ナアマンは自分の病気のために癒しのお祈りのイメージがありました。

 

「手を置いて、祈ってくれる」

 

私たちも基本的に同じでしょう。

 

 

 

でも、預言者エリシャは面会もせずに、

 

「ヨルダン川で7回洗いなさい。以上。」

 

将軍に対して、かなり無礼です。

 

 

ナアマン将軍は、粗雑に扱われた+自分の思っていた癒され方じゃないので、キレて帰ろうとしました。

 

 

 

 

このナアマン将軍は、実は、私です。あなたです。

 

プライドがあり、自分のイメージ通りにならなかったり、理解ができなければ怒って帰る。

 

 

でも、就職、進学、恋愛、結婚、人間関係、自分のイメージ通りにならないことばっかりです。

 

そして、人生、理解に苦しむことばかり起きます。

 

 

 

大事なことは、

 

「すべてを理解することではない。神にどんな場面でも従うかどうか。」

 

です。

 

 

 

 

 

 

 

(2016.10.9 すごすぎる教会シリーズ・6「すごすぎる神の計画」より抜粋)

 

 

 

 

 

 

 

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教会は「ひとりでできないもん」

  • 2016.09.10 Saturday
  • 22:51

 

 

「ひとりでできるもん」というカードローン会社があります。

 

子どもが料理を作るという「ひとりでできるもん」という番組がありました。

 

 

教会は「ひとりでできないもん」です。

 

 

 

私は、大学2年の二十歳の頃、出身教会が生み出そうとしているできたてほやほやの教会(「伝道所」と呼ぶ)に毎週日曜に、奉仕神学生として、遣わされました。

 

 

まだ日本に来て数年、日本語勉強中の宣教師がおられて、私に言いました。

 

「ゴトウクン、オネガイシマス」

 

礼拝式のプログラム作成、選曲、奏楽、司会、月1回のメッセージをやって欲しいとのことです。

 

 

 

若い時にいい訓練させてもらえると思ったのですが、

 

なんとそのちょっと後に、宣教師ファミリーは3ヶ月間、帰国してしまいました。

 

つまり、毎週メッセージをすることになったのです。

 

 

さすがに焦りました。

 

 

じゃあ、教会はひとりでできるのか。

 

いいえ、できません。

 

 

一人であれこれやらなくちゃいけない時も、あるでしょう。

 

しかし、限界がありますし、本来の教会の姿ではありません。

 

 

こんな聖書のことばがあります。

 

「私たちは、ひとりひとり互いに器官」

 

 (ローマ12:4,5)

 

 

一つのからだ、つまり教会を構成するために、まったく違う器官がたくさん存在して、

 

相互作用する時に、ひとりではできなかったことが、できるようになるのです。

 

 

 

 

 

明日は、<すごすぎる教会シリーズ・2『すごすぎる弟子』>というテーマで、そんなメッセージをいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ギターの上手くなる秘訣は?

  • 2016.06.18 Saturday
  • 23:41

 

Q.1 ギターが上手くなる秘訣は何だと思いますか?


 

1)スイープや早弾きなどの大技の練習

 

2)アドリブ(即興演奏)の練習

 

3)クロマティックスケール(全音階)の練習

 

 

 

どのギタリストに聞いても、同じ答えが返ってきます。

明日のWorship Celebration(日曜礼拝)で、ギタリストの実践PLAYがあります。お楽しみに!

Q.2 プロのミュージシャンとアマチュアの違いは何だと思いますか?

お金をもらう、もらってないなどもありますが、プロは間違えないということです。

ラブソナタ岡山の時のフィナーレで、牧師たちは壇上に登り、紙飛行機を飛ばしていました。

私も上がり、2回くらい飛ばしましたが、ずっと韓国側のミュージシャンの演奏を間近で見ていました。

思ったことは、2つ。

「めっちゃ安定してる」「難しいことは弾いてない」

でも、この人たちはプロだと思いました。

難しいテクを見せつければ、上手いと思われがちなのかもしれませんが、それより1音1音がしっかり鳴っているか。

私がband練習の時にいつもいうのが、この2つ。

「ノーミス」と「テンポキープ」

「すごテク」はその上におまけであるものです。

これはギターだけに限らず、ドラムもピアノにも当てはまります。

音楽だけでなく、スポーツにも当てはまります。

プロ野球の投手は、1球が大事なのです。

そして、音楽やスポーツだけではなく、仕事に当てはまります。

そして、仕事だけでなく、人生すべてに当てはまります。

一音入魂。一球入魂。一コピー入魂。一メッセージ入魂。

それをしっかりしていく時に、その先が広がっていきます。

変身シリーズ season two Vol.2『小さなことに忠実だと変身する』というテーマで、メッセージします。

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真夜中のキャンドルライト

  • 2016.05.29 Sunday
  • 19:21


この詩がとても感動したので、ご紹介します。


「真夜中のキャンドル・サービス」

 
男は人生に疲れていた。人生にみじめさを感じていた。

今日という日が誕生日であることをこの世の中のだれも知らないというむなしさを味わっていた。

そして、この誕生日にバースデー・ケーキの一つも買えず、満足な食事にもありつけない、自分の人生を悲観していた。あと数分で自分の誕生日が過ぎようとするとき、男は考えた。


「せめて、ロウソクに火を灯し、自分の誕生日を祝ってやろう」
 
男は、白いお皿の上にロウソクを自分の歳の数だけ並べていった。

そのあと、男は疲れと空腹の中、深い眠りに落ち、不思議な夢を見た。

男の前にロウソクに火をつけてくれる人が次々現れて、男に話しかける夢だ。



 
「誕生日、おめでとう。

 私も1日1回の食事もまともにできない無名の男です。

 でも、いつか必ず、超一流の俳優になってみせます。」
 
 
—ジム・キャリー
 

「誕生日、おめでとう。

 私も何も買えない貧乏暮しです。

 でも、このノートに書いた詞と曲で世界一のバンドになってみせます。」
 

 —ポール・マッカートニーー
 

「お誕生日、おめでとう。

 私も今はポケットにわずか37ドルしか入ってないわ。

 でも、大丈夫。私は世界ナンバーワンのシンガーになるから。」
 

 —マドンナー


「誕生日、おめでとう。」

 俺も生活費がなく、大事なペットも手放したよ。

 俺もひとりぼっちさ。

 でもきっと自分の映画でハリウッドスターになってやるさ」


 —シルベスター・スタローンー
 

(私は一つ付け加えました。彼だったら、こう言うだろうなと。)

「お誕生日、おめでとう。

 私も乏しく、貧しく、私が建てた教会は問題山積みです。

 でも、私を強くしてくださる方によって、なんでもできるのです。」


 —使徒パウロー
 


 男は目をさますと、心に誓った。

「私の人生に必要なものは、お金ではなく夢なんだ。私は本当になりたい自分になろう。」と。

 ロウソクの代わりに、男のハートに情熱の炎が灯されていた。



「Happy Birthday! あなたは一人ではない。あなたの人生は祝福されています。」







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5月8日はクロスロードチャーチの誕生日

  • 2016.05.07 Saturday
  • 23:12

クロスロードチャーチは、明日18歳になります。

1998年5月8日(日)に、ダビデ先生とキャシー先生が、初めて礼拝を行いました。

最初のメッセンジャーは、赤江 弘之牧師です。まだダニエルが生まれてなかったので、アンドリュー、ティモシーを含めた5人だったそうです。


神様がご計画をもって、岡山市北部(当時、北区はなかった)に教会を誕生させてくださったのです。



私は、2002年2月に赴任しました。

その前後にも、多くの宣教師や長老さんや、たくさんの人の協力がありました。

楽しいこと、つらいこと、様々なことがあって、2008年に今の場所に、教会堂が建ち、すでに席がいっぱいになっています。

先週、Tantan牧師にも「早く2部礼拝にしたら?」と言われました。


思い返すと、ひとつひとつの出会いが奇跡です。



電話を発明したベルさん。ベルさんは、聴覚調査機を発明しました。

発明したことによって、ヘレンケラーのご両親と会って、ベルがアンサリバン先生をヘレンケラーに紹介したのです。

そして、教育・福祉の面で活躍するヘレンが誕生しました。


出会いは大きな恵みです。その出会いがなければ、今の自分はいないと思うことばかりです。



明日の礼拝は「創立18周年記念礼拝」ということで、

メッセージは、サマリヤの女の聖書箇所から、「出会いは人生を変える」というタイトルでお話いたします。




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ストレスをなくす努力より、思い煩いからの解放

  • 2016.03.12 Saturday
  • 22:09

あなたはどんなストレスを抱えてますか?

その前に、あなたはストレスを抱えていますか?


ストレスのない世界が憧れですが、私たちが人生を生きるというのは、波風立たない穏やかな暮らしを生きることではなく、人と人が接触し、自分の思い通りにならないことばかり発生し、自分の体が思い通りにだんだんならなくなっていくことのストレスの連続の中で生かされていることなのです。



聖書には、ストレスが人生にあることは否定してません。

ヨハネの16章に「あなたは、世にあって、患難があります」とあります。

つまり、この世界に生きている以上、多かれ、少なかれ「患難」という名のストレスがありますよ、と言っているのです。



人生のストレス度指数というのがあって、人生の中で最も、大きなストレスは何かというと、日本、欧米、アジア、アフリカ問わず、どこでもダントツなのが、配偶者の死別です。

その配偶者の死別を指数100とすると、なんと結婚もストレス指数50なんだそうです。


結婚っていう、人生最大のハッピーなイベントであっても、生活様式の違う人と、いっしょに暮らしていく。嬉しい気持ちがほとんどだけど、引っ越し、義理の両親との付き合い、新しい環境の変化など、少なからずストレスがある。

つまり、結婚さえ、ストレスを人間は感じるということなのです。
 

生きることは、ストレスです!



だから、ストレスをなくす努力よりも、避けられないストレスとどううまく付き合っていくか。

そして、ストレスが思い煩いにならないようにどうすればいいのか。

そこに焦点を当てるべきです。



聖書に「何を食べるか、何を飲むか、何を着るかを心配してはいけません」とマタイの福音書6章にあります。

ここにヒントがあります。



明日の日曜メッセージは「SET ME FREE<解放>シリーズ・3『ストレスより思い煩いからの解放』というタイトルでお話しします。





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カミングアウト

  • 2016.02.22 Monday
  • 19:43



土日とhi.-b.a.スタッフであり、同盟の牧師である鈴木雅也師が来てくれて、中高生も喜んでいましたし、礼拝メッセージでもみんな恵まれました。

私自身もとても教えられました。



「カミングアウト」というメッセージで、冒頭にみんなにメモらせて、カミングアウトさせました。(笑)


長年、婦人病に苦しんでいた女性がイエスさまの背後に忍び寄り、触れた瞬間、治ったのですが、イエスさまは誰が触れたかを知っていてあえて、女性にカミングアウトさせたのです。

(マルコ5章25-34節)


大ぜいの人がいる中で、わざわざなぜそんなことをしたのでしょうか?

病気が治ったのだから、それでいいのではないか。


今まで人の目を避けて生きてきた、負い目がありました。


「人はもっとも恥じている部分を受け止めてほしい」ものなのです。



神の前にも、どう見せていいのかわらない私たち。


そのままを神の前にさらけ出すことによって、それでも受け入れられていることを知ってもらうために、イエスさまは女性に告白する状況を与えました。


イエスさまは問題の本質を解決するために、

「安心して行きなさい」

と女性に伝える必要があったのです。



罪それ自体よりも、罪を行っている自分は価値がないと思ってしまうことが1番危険。

「こんな自分は愛される資格なんかない」「私はどうせダメだ」

これがもっとも深刻な罪の要素なのです。




閉じこもり、本来の自分を生きられなかったりしてしまいます。


しっかり十字架のゆるしを受け取って、ゆるされていることを確信して、歩んでいきたいものです。




(2016.2.21 鈴木雅也師「カミングアウト」礼拝メッセージより抜粋)





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